ちょっと考えた

タイ人農業研修生問題について(Part 1)  No.2
ある地方自治体の認可法人が招聘した農業研修生の話です。
話は5年前にさかのぼります。
彼達(2期生にあたる)は、1年の予定で農業研修にやってきました。
当初から問題はありました。20人の予定だったのに、最終的に来日したのは15人でした。
これは、彼達の先輩達(1期生にあたる)から、「日本に行くな。」と、おしとどめられたせいだと研修生の一人は語ってくれました。
更に彼は、「先輩の言葉を信じた5人は日本にこなくて、信じなかった私たちがこんなめにあってる。」とも漏らしています。
色々な問題が噴き出してきました。「花の勉強をしにきたのに養鶏所に入れられてしまった、研修先をかえてといっても、はい、はい、というだけでなかなか捜してくれない。」
この事について、招聘団体の会長と話す機会があったので聞いてみました。
「あれはうちのミスじや無い。こっちじゃちゃんと養鶏とだしたんだ。それをあっちが訳を間違えて花の研修生を送ってきたんだ。間違えてきたんだったら帰るか、と言うことになるだろう。あれはそれでも良いと言うからおいてやってるんだ。」
結局、彼女の住み込み研修先は、養鶏所から変わることはありませんでした。
彼達の不満は、この研修の招聘団体へと集中して行きます。
会長の言葉を借りれば「うちの研修生は、うちの会の趣旨を理解しとらん者には出来るだけ逢わせないようにしとる。何にも知らん者に逢わせるとなんてゆうかわからん。」と言うようなこの団体の閉鎖性。
何度、事務所に相談に言っても、「ハイ、ハイ、」と言っているだけで、一つも問題を解決してくれない不誠実さ。等々、この団体に対する不満の声が段々大きくなって行きました。
1つの事件が起こりました。
1人の研修生の母親が亡くなられたのです。
受入先の農家によれば「1週間、ろくに飯も食わずに泣いてばかりいた。」とのとりみだしよう。受入れ家族や友達が彼をすぐタイに帰してあげようと、会の事務所に相談に行きました。
「その件については、今、役員会を開いて話し合っている。」等、何度か同じような答えが繰り返され、3週間ほど後、「どうしてもというなら帰国もやむなし」という結論が彼のもとに届いた時には、「いまさら帰っても仕様がないよ。」という力のない返事を聞くことしか出来ませんでした。
なにを3週間もの間話し合っていたのでしょう。
後から彼と逢い、「俺に連絡してくれていたら、すぐ帰れる様にしたのに。」と言うと、「何をしたらいいのか、何をしていたのかすら取り乱していてはっきりしないんだ。」と言う答えが返ってくるだけでした。
これらの不満や出来事は、ほんの1例にしか過ぎません。
彼らには苛酷な研修条件(労働条件〉や、月3万円という少ない生活費に対する不満も少なからずあります。しかしそれ以上に、タイで想像していた研修とのギャップ、自分達が正当に扱われていないことへの怒りのほうが何倍も大きいのです。
研修生らはこれらのことを胸の中にしまい、爆発させることも無く、1992年12月15日タイに帰って行きました。
この団体はその後、他の国の農業研修生とも問題を起こし、使途不明金問題まで浮上し、農業研修生受入活動が出来なくなりました。
そして今年4月、この団体が4年ぶりに又、研修生を受け入れることになったのです。
会長も変わり、受入態勢も一新してこのプログラムに臨むとのことだったのですが、案の定とでも言いましょうか、受入当初から問題続出。
この団体の本質的な問題は何も解決されていません。
1997/08/19

No. PASS


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